読谷村とやちむんと残波焼

残波焼

 

言葉の力強さを感じます。

翻って残波焼の作品を眺めると、反対に優しい眼差を作品から己に注がれているような奇妙な感覚にも襲われます。

 

残波焼は、窯主の『松田昌幸』を育んだ読谷村の土を使い轆轤を引き

更には、読谷村で取れた原料を使い釉薬を完成させる

更には、表面の質感を表現するために、ありとあらゆる創意工夫を行っている

※公開の許可が出ていないので、ここでは『ありとあらゆる』という言葉だけにします。

 

弟子は取らない。理由は、『人間全員が孤高の作家だから』だそう。

 

やちむんの里で売られている作品がメインストリームであれば。残波焼は地元の宇座で愛用されていて、なかなか県内でも流通していない作品ばかり。

 

やちむんの里のルーツは那覇の壺屋焼、壺屋焼のルーツは朝鮮半島。

そしてやちむんの里のスタートは1980年から。

 

もちろん読谷村にも、やちむんの里ができるまえから地元のやちむんの悠久の歴史は存在し、其れを守り続けてきた窯主もいる。

 

読谷村という、現在でも沢山の寄留民を受け入れるポテンシャルがあってこそのやちむんの里。

そのやちむんの里の影に隠れてしまった、地元の残波焼。

 

 

ぼくなら『なにくそ!見返してやる!』精神で歯ぎしりしてしまうのだが、窯主はいつも優しい眼差しでスマイルを返してくれる。

 

老体に鞭打つように、納期を急がせることはできない。

そんな窯主も年齢は六十代半ばを迎えている。作る量も年とともに少なくなってきた。

 

 

ぼくの読谷村の実家には30年以上使われている残波焼の器がある。今でももちろん現役。

リーズナブルさが一般的なやちむんで、それが消耗品なのであれば

残波焼は消耗品の域を超え、どの時代にも生活に馴染む道具であると認識している。